空を見上げること、思い出を永遠にすること
記憶を辿る時、あるいは何か考え事をするとき、私はつい空を見上げる。もし見上げる行為そのものに関連する思い出ができしまったら、私は何を思うにも、何を考えるにもそのことを思い出してしまうのかもしれない。
この記事はAqoursフィナーレライブの照明演出を振り返るものです。もし考察や解釈などに触れたくない場合にはそっとページを閉じることを推奨します。
6/21土曜日、埼玉県のベルーナドームにてAqoursフィナーレライブが開催された。永久Stageと題した今回のライブの中には私たちファンがAqoursとの思い出を振り返るきっかけがたくさん配置されていた。それは例えばライブの冒頭で小宮さんがメインステージに配置された砂浜に「Aqours」の文字を刻む演出であったり、幕間のキャラクターひとりひとりを振り返る映像であったり、Daydream Warrior→スリリング・ワンウェイというセットリストだったりと。ライブに参加した人たちも思い思いのライブグッズを持ち寄っており、HAPPY PARTY TRAINツアーの法被や4thライブのフォームフィンガーを持ってきたファンなども目にした。
一方で「9人での最後のワンマンライブ」を謳った永久Stageでは、これまで Aqoursとの歩みや関わりを思い出として持って、前へ進んでいくこともまた繰り返し提示されていた。幕間のアニメではキャラクターが各々スクールアイドル活動を振り返る語りがあり、部の備品を整理する一年生や写真を撮る三年生の姿などが描き出された。未体験HORIZONの「思い出抱いて、前へ」という歌詞も印象的だ。スクールアイドルに限らず、全てのコンテンツに終わりは来る。コンテンツの終わりの後も私たちの人生は続く。避けられない別れを超えてコンテンツを永久にするものがあるなら、それはまさにガラスケースにしまわれた思い出であり、その思い出に幾度となく触れ直すことに他ならない。
しかしコンテンツで溢れかえる現代、Aqoursというコンテンツを振り返り続けることもまた困難だ。動画投稿の最大のプラットフォームとなったYouTubeでは日々新しい動画コンテンツが大量に投稿され、毎日のようにライブ配信も行われている。テレビアニメに目を向ければ毎クール50近い作品が放送されている。ラブライブシリーズに限って見てもLiella!や蓮ノ空は精力的に活動しているし、新シリーズのイキヅライブも本格的に始動してきている。
コンテンツ飽食の時代とも言える現状に対してAqoursは、そしてラブライブ!サンシャイン!!はどのような答えを出したのか。ここからはライブ内の演出を振り返りながら考えていきたい。
ひとつ目にライブ冒頭のメンバー登場時に着目したい。これまでのライブにあったようなメンバー登場時の音楽もなければ照明などによるメンバーカラーの提示もない。そこには砂浜と打ち上がる波の音があるだけで、メンバーが一人一人静かに登場する。思い出とは案外静かなものだと思った。
思えばAqoursとの思い出にはいつも音がある。ライブ会場の声援や拍手、アニメの中の劇伴、劇中のセリフ、印象的なMCなど、例を挙げれば枚挙にいとまがない。しかし私たちが彼女たちに思いを馳せる時、私たちの周囲はえてして静かだ。感情を揺さぶる音楽はないし、熱狂するオタクの歓声もない。ただ生活に溶け込んだ環境音があるだけである。
だからこそ演者ひとりひとりの登場と波音という環境音を共起させることには大きな意味がある。このキャスト登場シーンは私たちが波音に触れた時にこのフィナーレライブを思い出すきっかけとなる。さらに言えばこのフィナーレライブの記憶を入り口としてAqoursとの思い出を振り返る入り口となる。
曲中の演出についても考えていきたい。私はライブではよく照明演出を見てきたが、今回は特に天井のレーザーワークが多用され、その力の入りようが印象的だった。これを読んでいる人の中にも記憶に残っている人がいるのではないだろうか。例えば非常に印象的だったのは未熟DREAMERのサビに合わせて天井に投影された花火のレーザーワークだ。作中では花火大会の日に披露され、サビに合わせて大輪の花火が開くこの曲で花火の演出が入ることは文脈に乗った自然なことだ。
しかしその花火をレーザーワークで天井に投影するという手法は鑑賞者に必然的に上を向くことを要求する。そしてそれは現実に花火を見るときの所作と一致する。私たちが花火のために空を見上げるとき、その所作に引かれてAqoursと過ごした記憶が呼び覚まされる。
同じような仕掛けはSakura-saku, Kokoro-sakuでも見られた。この曲ではレーザーワークによって桜の花びらが舞う様子が天井に投影されていた。桜が散り舞う様子もまた日本人にとっては毎年恒例の景色であり、多かれ少なかれ春に意識のいくことだ。そして桜を眺めるときもまた人は度々上を向くのではないか。桜並木を歩くにしても、写真を撮るにしても、あるいはレジャーシートを敷いて花見をするにしても、桜の花を見上げるシーンは多くある。そうした見上げる所作の中に、花を愛でる気持ちの中にAqoursを思い出すきっかけがある。
少し話をレーザーから離そう。天井を照明演出に取り込んでいたのはレーザーだけではない。HAPPY PARTY TRAINでの果南レールの演出はスポットライトを用いて天井を使った演出をしていた。メインステージとセンターステージが隔てられていたフィナーレライブの構成では、地上側でメインステージから伸びる果南レールを表現できない。そのため今回の果南レールは天井に形作られた。二つ並びの丸いスポットライトの光がひとつ、また一つとステージ上方から2塁側へと伸びていく。その光はやがて2塁側の天井の端へと届く。この様子は配信のスイッチカメラでもしっかりと映されていたので、配信やライブビューイングでフィナーレを楽しんだ方々にもこの光景を目にしたのではないだろうか。
空に浮かぶレールと聞いて読者の方々は何を思い浮かべるだろうか。HPTのミュージックビデオにある空駆ける列車を思い浮かべる人もいるだろう。あるいは宮沢賢治の銀河鉄道の夜を思い浮かべる人もいるだろう。私は月並みな感想だが流星や流れ星を思い浮かべた。あるいは星が結ぶ軌跡ということで言えば時間と共に流れる星の軌道を思い浮かべた。そうして私が夜空を見上げるとき、そこにはやはりAqoursとの記憶の接点がある。
こうしてフィナーレライブの演出の中にはAqoursとの記憶を呼び覚ますための契機が散りばめられている。レーザーワークや照明に目を向ければそれは上を見上げる行為に強く結びついていて、さらには桜、花火、流星といった具体的なものにも結びついている。私たちが春に桜を見て、夏に花火を見上げ、双子座やペルセウス座流星群を眺めているとき、その隣には常にAqoursへ続く記憶の扉が開かれている。そうして幾度となくAqoursとの記憶を呼び覚ますことで、私たちの思い出は永遠となる。
最後にもう少しだけ天井のレーザーワークの話をしよう。Day1の最後のユメ語るよりユメ歌おうの照明では天井にレーザーワークでキャラクターロゴが映し出されていた。これはDay2の勇気はどこに?君の胸に!でも同じだ。過去のエンディング曲の照明を振り返ると、このレーザーの存在は異色だ。
過去のエンディングの照明では照明色を少しオレンジを帯びた白熱球の色に統一した一色の演出が定番だった。ライブ終盤の曲としてやることも多いエンディング曲はトロッコ曲になることも多く、そもそもステージ側の照明で気合を入れた演出をすることは稀だ。大抵は天井に釣ったスポットライトもステージ上に置かれたスポットライトも総動員して、光を動かしながら客席を照らす。
トロッコ曲はファンとキャストのふれあいの曲であることが多い。だからこそ余計な演出は入れずにファンがキャストの顔を見られるように、またキャストがファンの顔を見られるように会場全体明るく照らす。
しかしフィナーレライブのユメユメ・勇君の照明ではこの演出にレーザーワークによるキャラクターロゴが添えられた。小さな変化ではあるが、キャスト以外に見どころを作る演出だ。それはフィナーレライブを区切りとして大きな変化を迎えるAqoursを象徴的に表しているようだった。伊波さんや高槻さんというキャストの元をAqoursのキャラクターたちが離れていくような、そして彼女らキャストのこれからの歩みを見守る存在へ変わるような光景だった。
そう思えば勇君のCメロ部分で2塁側にトロッコが合流したとき、客席に向かって「やり残したことなどない」と歌ったキャストたちもまた上を見上げていた。天井に映し出されたキャラクターロゴは勇君の歌詞を通してキャストからキャラクターへ想いを伝える場を作る、そういった意味を読み取っても良いだろう。
いずれにせよ、会場全体での大合唱という印象的な最後を迎えたフィナーレライブはまたしても上を見上げることと共に私の記憶に刻まれた。見上げればそこにはAqoursがいる。それが私が今回のフィナーレライブを通して得た一つのメッセージだ。
このライブを通して私は見上げることにまつわるさまざまな記憶の扉を与えてもらった。波音という思い出への鍵もまた与えてもらった。2日目のMCで小林愛香さんは沼津に来てAqoursに会ってと話した。Aqoursはきっとそこにいるからと。私にとってのフィナーレライブはこの言葉に尽きる。沼津へ行けば、そこには必ずAqoursに会うための思い出の扉がある。7月末には狩野川花火大会もある。8月中旬にはペルセウス座流星群の極大がくる。6月にフィナーレライブを終えて、その翌月と翌々月には思い出の契機となるイベントが存在している。そして何より空を見上げることすら思い出の契機となった。Aqoursとの思い出を見返すきっかけはそこかしこにある。永遠への道はすでに舗装されているのだ。
このことを胸に刻んでこの記事を閉じよう。あとは私たちの人生を生きていくだけである。そして折に触れてAqoursとの記憶を振り返り、旧友に会った時のように思い出を温めるのだ。私たちが変わり続ける限り、温めた思い出は焼き直しにはならない。そこには必ず新しい何かがあって、新たな思い出として降り積もっていくはずだから。
最後まで読んでいただきありがとうございました。自分の中で一つ区切りをつけられた気がします。読者の方々もフィナーレライブで受け取ったものがあると思います。その思い出を深める一助になっていれば嬉しいです。
シャニマスの照明を初めて見た話
こちらの記事はTHE IDLEM@STER SHINY COLORS LIVE FUNのネタバレを含みますので、回避したい方はブラウザバック推奨です。
初めましての方は初めまして。初めてでない方はお久しぶりです。まさけです。
昨年12月の異次元フェスで初めてアイマスシリーズのライブパフォーマンスに触れ、そこからシャニマスのゲームを触り始めたド新人ですが、今回Pの友人から誘いをいただいてLIVE FUNに参加してきました。初めて参加するシャニマスのライブが両日現地なんて、友人には頭が上がりません。
それなりに長いことラブライブでの照明演出をあれこれ見てきた自分にとって、照明演出を見ることはライブ鑑賞の欠かせないパートとなってしまいました。今回は初のシャニマスライブではありましたが、しっかりと照明演出も見てきました。
ここからはそんなシャニマス初心者の私が初めての現地ライブで照明を見て感じたことや思ったこと、そして心に残った照明演出などを書いていきます。なにぶん新参なもので汲み取りきれていない部分もあると思いますが、どうぞご容赦願えればと思います。
今回のライブはどこか自己紹介的なライブだったなと感じています。もちろんこれは自分が初参戦であることやアニメ第1期放送後というタイミングのせいもあるでしょうが、ユニットの越境だったりソロ曲を全員で歌ったりという要素がなかったことも大きかったように思います。その分それぞれのユニットの個性が強調され、Day1は特にその印象が強かったです。
そこでまずはそれぞれのユニットごとの照明で受けた印象を書くことにします。
・各ユニットの照明の印象について
まずは初期の4ユニットから。この4ユニットについてはテーマのカラーが非常にはっきりしていて、ユニットを見れば照明の配色がある程度想像がつくユニットだと感じました。アンティーカであれば紫、アルストロメリアであればピンク、放クラであればオレンジといった具合です。イルミネーションスターズだけはメンバーカラーと白という取り合わせを意識しているように感じました。舞台上の照明でのわかりやすさを意識するとめぐるの黄色と被ってしまうことを意識してのことでしょうか。どう受け取られるかを踏まえた一つの合理的な判断のようにも思います。
それぞれの細かな照明演出に目を向けると、アンティーカはその曲調であるゴシックメタルに合わせて赤や白といった強い色に激しい点滅を合わせたロック系の王道構成が目を引きました。ツーバスの速いビートに合わせるように点滅するライトは曲の激しさをより誇張し、一方で曲中ズンと重く歪んだ低音が粛々と奏でられるパートでは一転紫をベースに光をゆらめかせるような演出を織り交ぜることで、宗教的とも言える厳かさの表現が垣間見えます。御伽噺のようなとかファンタジーのようなとか、現実とは一線を画す世界観を強く感じました。Day2の幻惑SILHOUETTEではその趣が特に強かったと思います。Bメロで彷徨うように方方を向くスポットライトを提示したのに対し、サビでは一切動かない紫の照明に加えて別のライトで加える強烈な白光。ダメおしにステージモニターには十字架が映し出されていましたね。人生に惑い暗中模索する中に差す光を思わせる演出でした。
アルストロメリアはとにかくピンクという印象ですが、照明に使われるピンクには紫寄りのものからオレンジ寄りのものまでバリエーションがありました。とりわけオレンジ寄りのピンクは主色のピンクと大きく異なるわけではなく、その微妙な差が会場の色彩に複雑さや奥行きを出していた点がとても印象的でした。また恋の歌を歌うことが多いアルストロメリアゆえに、ピンクから逸脱した色にはどうしても意味を汲み取ってしまうのもこのユニットの特徴でしょう。Day1で披露したアルストロメリアの曲中では歌詞の「君色に全部染まりたい」の部分で照明色がピンクから明るめの紫へとシフトしました。男は青、女は赤という色のシンボルが存在する日本において、こうした表現はピンクが君色に染まっていく表現として見て取れました。
放課後クライマックスガールズは主色をオレンジとしつつ、黄色や緑も織り交ぜた明るく活発な構成になっていることが多かったように思います。正直コールのことで手一杯ではっきりと覚えている部分は少ないのですが、オレンジや黄色といった夏や元気さを想起させる配色に加えて、上下に大きく動くスポットライトはお祭りのような騒がしさと活発さを一層引き立てていました。曲を「聞く」のではなく「一緒に楽しむ」といった方向性が垣間見えるような構成で、照明は終始会場の楽しい雰囲気を盛り立てることに注がれていたように思います。
イルミネーションスターズについては前述の通りメンバーのイメージカラーと白を用いが演出が多かったように感じます。ヒカリのdestinationしかりHappy Funny Luckyしかり、黄色とピンクと青の三色を用いた楽しげなパートと、そこに白が混ざったりあるいは白一色になったりとより明るさや眩しさに重点を置いたパートとがありました。より視野を広くしてみると、モニターで映されている光の玉の動きとスポットライトの動き方が同じ印象で調和していたり、照明の使い方が特に曲調に寄り添っていたりと、全体での調和を大切にしている点もイルミネの照明の特徴かもしれません。
このように初期ユニットの特徴は「この色といえばこのユニット!」と結びつきが強いことが一つの大きな特徴であり、その上で曲やユニットの方向性に合わせて照明の演出を調整しているように感じられました。
一方で後から追加されたユニットの照明演出では複雑性が増しているように感じました。初期ユニットがサービス開始からの積み重ねを持っている以上、新規参入のユニットが薄っぺらな状態で出るわけにはいかないという事情もあるのでしょう。照明演出にも個性が光り、目を惹くものも多いように感じます。
例えば今回のLIVE FUNでトリを飾ったストレイライトはユニットのカラーでいえば赤ですが、常に赤をベースに照明を作っていたかと言われればそんなことはないと思います。例えば赤に対して補色の関係にあるシアンが差し色で入っているというように、異なる色をぶつけるという工夫がありました。また会場が赤に染まるのはサビだけでAメロやBメロ部分では全く異なる色を使っていたりと、主色とはっきり言えるだけの存在感が赤にない曲が多いように感じられました。それはユニット名でもあるStrayLight(迷える光)ということの表現であったり、あるいは正反対の者同士がぶつかり合いながら先へ進んでいく様子を表しているのでしょう。とりわけ補色をぶつける演出を見ると、あさひちゃんや愛依ちゃんにドタバタ振り回されつつ悪態をつく冬優子の姿が浮かびます。しかしそれは決して悪い意味ではなく。補色は互いに色を引き立て合います。彼女たちもまた対照的な者同士が一緒になることでより一層輝き出すという考えが根底にはあるのではないかと感じられました。
一見青(というか水色?)がイメージカラーのように思えるノクチルについても、そこには複雑さが潜んでいると感じました。ノクチルの照明で特徴的なのはとにかくレーザーを帯状に広げることが多いこと。帯状に広がったレーザーは層をなし重なり合っています。客席から見上げるその青は単純な一色ではなく無数の重なりあいの中で現れる多様な青です。ステージ上のスポットライトについても単色の青ではなく複数の青と白を混ぜて奥行きのある青さを作っていました。透かしてみる中で重なり合って色を変える青を見て、私は透明感の方をより強く感じました。水越しに世界を見るような透明感や爽やかさ、それらを総合したものがノクチルの青なのではないか。またストレイライトで見た補色はノクチルの演出にも反映されています。水色の補色にオレンジは含まれますから、ここでは補色をぶつけるのではなく交互に行き来することで差別化を図っているのでしょう。水色とオレンジの行き来は昼と夕方を連想させ、彼女たちが過ごしている時間の経過へも私の意識を向けさせます。幼馴染として過ごしてきた時間、同級生として過ごしている時間、アイドルとして過ごしている時間。そうした時間への意識が歌詞と相まって物語を産んでいくのがノクチルの照明の魅力だと感じられました。
続いてSHHisは緑がどこかに使われていることが多くその点ではイメージカラーの緑が主色であると捉えても良さそうです。使われる緑にもあまりブレがなく、SHHisの緑といえばこれという色があるのは確かでしょう。一方 SHHisの照明演出に魅力を増しているのは主色に対して取り合わせる色の種類の豊富さです。美琴を思わせる赤を合わせたり、ある時は青紫を合わせたり、水色とピンクを同時に合わせたりとその取り合わせはかなり豊富です。補色をぶつけていることの多いストレイライトとの違いはこの取り合わせの豊富さにあると見て良いでしょう。イルミネと同様、緑をSHHisの色としてみるかにちかの色として見るかでも広い解釈ができるのがこのユニットの照明演出の魅力だと感じました。後のパートで触れますがSHHisはこの色の取り合わせが絶妙なユニットだと個人的に感じました。
最後のコメティックは白のライトがとにかく印象的なユニットです。公式サイトにもカラーレス・アイドルとして書かれていることの表れでしょう。コメティックの白の照明に抱いた最初の感想は、「同色異素材のコーディネートを見ているようだ」でした。一言に白のライトといっても、レーザーで出すのか、ウォッシュライトで出すのか、スポットライトで出すのかで印象が異なります。スポットライトではさらに細かく印象を調整でき、細く強い光として出すのか広がりを持った柔らかな光で出すのかによっても見える印象がまるで違います。そうしてできた異なる質感の光をさらにライトの動かし方の緩急で演出として完成させていく仕事は圧巻でした。特に無自覚アプリオリの「多様性だせ?でも列乱しちゃダメ?」の部分で見られるレーザーとスポットライトを細かく上下にキュッキュと動かす演出はコメティックに特有の演出だと今回のライブを見る限りでは感じました。イントロに特徴的ですが、さまざま要素がコラージュ的に貼り合わせられたようなこの曲に対してこの上下の動きはターンテーブリズムのスクラッチに見られるような動きを連想させます。ターンテーブリズム自体も既存の曲のごく一部を細かく繰り返したり、順番を組み替えたりして新しい曲へ変える技術です。さらにはスクラッチを新たな音として入れることで原曲にない音すらそこに入ります。こうした断片化や破壊と再構築のような要素はコラージュ的な曲と調和をなしました。曲中の他の照明でもコラージュ的な演出方法が使われていましたから、この調和はさらに大きなインパクトとして感じられました。
このように後から加わった4ユニットでは複雑な照明演出の試みがなされており、技術的にも見た目としても面白いものが多いと感じられました。シンプルだからこその良さもあれば複雑さゆえの良さもあるのが演出ですから、こうしたユニット間の広がりがあること、そしてそれを一度のライブで目の当たりにできたのは行幸でした。
・今回のライブで印象に残った演出について
最後にライブで印象に残った曲の照明演出についてお話ししてこの記事を締めようと思います。
まずDay1ではSHHisのFashonableがとにかく良かったです。曲中の照明演出は一貫してて、ステージ上のライトはオレンジと赤、モニターには常に緑を使って模様や蝶を描きだしていました。この配色を見て私が想像したのは「きっとこの曲の最後にはスポットライトにも緑が入って隔たりがなくなるような演出になるのだろう」ということでした。
「画面の中の人」のような表現がある通り画面上の存在は自分たちのいる場とは隔絶された存在です。そこにいるようでそこにはいない、決して手の届かない存在。だからこそ人は画面の向こうの人へ憧れを抱くのです。私がサポートのコミュで見るにちかも美琴に対して強い憧れを持っているように映りました。まだこの二人をプロデュースしたことはないので詳しくは分かりませんが、にちかが抱く強い憧れは、同時にその人の横に並び立つことは叶わないというような呪いのようにも思われます。
ライブ会場では目の前にステージがある関係上、ステージの照明側に憧れの対象を配置するのは自然な流れです。にちかは画面の向こう側にいて、そこから美琴を眺めているんだとその場の演出を解釈しました。そしてそこに断絶があるのなら、それが解消されることこそが物語の自然な流れだと思っていたのです。
しかし蓋を開けてみれば結果はそうではありませんでした。最後のサビに至るまで画面の内と外の断絶は解消されない。なのに画面の中ではAメロで緑の紋様が、Bメロでは蝶のイメージが、そしてサビではAメロの紋様が光輝く様が映されています。Bメロの蝶が指し示すのはおそらく変化や変貌でしょう。美琴への憧れとそこからくる断絶は解消されないのにそれによってにちかはアイドルへと変貌して輝き出す。これが私たちだとこの照明演出は訴えかけてきていました。なんて悲しい物語だと思いましたが、それと同時にもしこの解釈が本当に実際の物語と一致しているならそこについて回る感情の強度はいかほどだろうかと想像に身が震えました。並び立つことが叶わないまま横に立ち続けようとするにちかの決意や、それを認めるPの胸中を思うとその強烈な感情に胸が裂けそうでした。
真相はプロデュースをしながら確かめるとして、この考えが脳裏に浮かんでしまった時点でFashionableの照明演出は飛び抜けていました。
続いて2日目で印象に残ったのはハナムケのハナタバとAnniversaryの照明演出です。この2つはあのセトリの順番で同じ日に披露されたからこそ印象に残りました。
ハナムケのハナタバのサビでは上から下へスポットライトを動かすことで雪が降っているような演出が使われていました。別れがテーマとなっているこの曲のサビに雪の演出を持ってくること自体、「雪→寒さ→人恋しさ→人がいない寂しさ」という連想で繋いで別れに付きまとう寂しさやその印象を伝えていて、非常におしゃれな演出だと感じました。前述のコメティックに特徴的なスクラッチのような動きもなく、コメティックにこんな演出もできるのかと息を飲みました。ここで終わっていれば単に印象的な良い演出だったことでしょう。
しかしAnniversaryでこのスポットライトの演出が繰り返されたのです。「今光が降りそ注いでゆく」の部分でハナムケのハナタバと全く同じ演出が使われていました。非常にシンプルで力強いメッセージですね。恋を諦めた人がいて、それとは別に結ばれた人がいる。同じ演出が使われたことによって、2つの曲が一つの物語へと結ばれてしまいました。
これは大いに狙い撃ちされた演出なのでしょう。にちかの時とは違いこれには想像は必要ありません。ただ粛々と事実がそこにあって、それに心を抉られる体験でした。ホワイトアルバム2の記憶が呼び起こされて私には特に大ダメージでした。ただとても残酷だけれど、とても美しい演出です。この痛みが気持ちいい!!
そんなわけでDay2は私はコメティックとアルストロメリアに心を打ち抜かれていました。
つらつらと書いていたら随分と長くなってしまいました。今回のブログはここで締めます。最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
またライブ行きたいなぁ。。。
越境的な演出 異次元フェスの照明演出とその他少々について
この記事は『異次元フェス アイドルマスターラブライブ!歌合戦』とラブライブサンシャインおよびラブライブスーパースターのアニメ本編のネタバレを含みます。先に視聴をしたい方はブラウザバックをお願いします。
みなさまお久しぶりです。まさけです。初めましての方は初めまして。照明演出おじさんです。
以前参加した Aqoursのバレンタインライブから約10ヶ月、師走に入って今年も残り数えるほどの日数を残すばかりとなりましたがいかがお過ごしでしょうか。私は異次元フェスで初めて聞いたジャングル☆パーティーが頭から離れず毎日ズンドコドンツクしております。
さて早速本題の照明演出に話を移しまして、今回の記事ではDay1のセトリから「AqoursのDreamy Colorとノクチルの今しかない瞬間の照明演出」について、そしてDay2のセトリからは「AqoursのWater Blue New Worldの照明演出とアイドルマスターのThank you!」と「シンデレラガールズのさよならアンドロメダとLiellaの私のシンフォニーの照明演出」について取り上げ、異次元フェスならではの越境的な演出を紹介できればと思います。
1. AqoursのDreamy Colorとノクチルの今しかない瞬間の照明演出
まずはDay1よりこちらの2曲を取り上げます。AqoursのDreamy Colorの照明演出で印象に残ったのはメインステージ上部のスポットライトの使い方です。下図のように上向きにスポットライトが光を出し、その光線が交点を結んでいる部分と放射状に広がる部分が作られていました。
ライブ中このスポットライトの向きは左右に動いており、下図で言うと一番左のスポットライトはやがて交点から離れます。それと同時に右のライトがまた交点に加わり、この光の交点はゆっくりと右へ運ばれていきます。

このように光が交点を結ぶ照明演出はAqoursの4thライブのThank you, Friends!で使われた演出を彷彿とさせます。Aqoursの曲で4thと同じ東京ドームという会場のせいもあるでしょう。
当時、Thank you, Friendsは3年生の卒業を扱った劇場版の告知直後に披露されました。曲中で光が集まっては離れていく様子は、高海千歌という一人の女の子からAqoursが結成される様子、そして卒業を迎えて各々の道へと旅立っていくメンバーの姿と重なりました。ライトが放射状に広がって交わらなくなっても、それぞれの光をライトの後ろまで延長すれば交点を結べる。それはスクールアイドルという活動が思い出になった時の彼女たちの姿と重なり、青春の儚さやかけがえのない思い出というテーマを思わせます。
今回東京ドームという会場でAqoursがこの照明演出を使ったという事実はラブライブのファンとして大いに感銘を受けました。しかしこの演出をAqoursだけで終わらせず、ノクチルの『今しかない瞬間を』の照明演出に同要素を含めたことは異次元フェスという場において素晴らしい演出計画でした。
今しかない瞬間をはセンターステージで披露されました。ここではメインステージのスポットライトも下図のようにセンターステージのキャストに集まっていました。

Dreamy colorでは光の交点をステージ上に作っていましたが、今しかない瞬間をの演出ではキャストの位置にこの交点を持ってきた形です。幼馴染4人で結成されたノクチルというグループでのこの演出は、高校生活での青春の時間を彷彿とさせるものでした。
曲が進んでサビに入る直前にはこのスポットライトは左右に広がりながら観客側へと動き下図のように展開します。

アイドル事務所に所属する彼女らにとって卒業がそのまま別れとなるわけではありませんが、高校生活には限りがあり、その時間が思い出に変わることに違いはありません。共に過ごす時間のかけがえなさを歌ったこの曲で青春の儚さを持った演出を取り入れることで曲の世界観がより重層的に表現され、魅力がさらに感じられました。
加えて今しかない瞬間をの照明ではスポットライトとは別にキャストの足元に光の模様を映していました。そしてライブ会場全体を見回すと、この足元とは別の模様が客席上部の天井にも2種類ほど映し出されていることに気が付きます。位置関係としては下図のようになります。

メロ部分を歌唱している時にはこのように天井とセンターステージの2箇所に分かれて映し出された模様ですが、サビへ移行するとこの足元の模様も図の「模様1」の位置へと移動します。キャストの位置から見れば模様1の部分に新たな模様が加わるように見えるわけです。
今という時間が思い出の1ページへ加わるようにも感じられるこの演出は、今しかない瞬間をという楽曲を表現するにあたってまさにぴったりの演出だと言えました。歌詞に寄り添って作り込まれた照明演出が先ほどの演出と合わさってさらに楽曲の魅力、世界観を引き出していたように感じられました。
スクールアイドルとノクチル、共通する属性や要素を持っているからこそできた演出面での越境的な試みがここに観て取れました。
2. Water Blue New Worldの照明演出とThank you!
続いてこちらではWater Blue New WorldとThank you!について取り上げます。
Day2終盤で披露されたThank you!をこの異次元フェスで初めて聞いて、曲のコンセプトに深く心を打たれました。アイドルとプロデューサーという関係だからこそある種対等な目線でお互いに感謝を伝え合うこの曲はアイドルマスターならではと感じましたし、この曲が今までのライブの中で幾度となく披露されその度にプロデューサーとアイドルの関係を強くしてきたんだろうと思いを馳せるだけでも、この曲に注がれてきた愛の大きさに言葉を失うようでした。
同時にこうして互いにありがとうを伝える曲がラブライブにないこと(少なくとも自分にはそう感じられること)を口惜しく思う部分もありました。
そんな中異次元フェスの照明演出を振り返っていた時、Water Blue New Worldの照明演出にThank you!的な要素が隠れていることに気がつきました。
Water Blue New Worldは1番、2番をメインステージで、間奏後のラストをセンターステージで披露しました。この曲の照明演出で印象的だったのはサビ直前の「Water blue」の歌唱部と同時に羽をイメージさせる青い小さな光がステージから客席側へ天井をなぞって向けられる部分でした。
サンシャインアニメ2期12話の最後で披露されるこの曲には、実際に映像の中で青い羽がステージから観客へと飛んでいく演出が入ります。そのため上記の青い光の演出はこの部分を再現するような意図で組み込まれたものと考えられました。
ですが曲の終盤、センターステージで最後のサビを歌う際に客席へと飛んでいった羽の光は、曲の終わりとともに再びセンターステージの真上に戻ってきます。また最後のサビではスポットライトの色も異なっており、1番2番が青だったのに対して最後のサビだけは白のライトが使われていました。この部分の演出だけは元のアニメ映像と照らし合わせただけでは説明がつきません。
ここで羽について少し考えると青の照明が青い羽なら白の照明は白の羽と捉えられます。μ'sからAqoursへと渡された、Aqoursの色に染まる前の羽です。可能性を感じさせる色の羽と言い換えても良いでしょう。
ラブライブというコンテンツから活力や創作ネタを供給されている私たちは、かつての高海千歌がそうだったように白い羽を受け取っているのだと思います。ファンとアイドルという関係性においてはプロデューサーとアイドルのような同僚的な関係性はなく、演者と観客のように分断された関係性があるばかりです。そう言った意味ではラブライブにおけるアイドルとファンの関係性は「アイドル→ファン」という一方向的な関係性だと感じられるでしょう。
しかしそれと同時に「ファンがいるからこそコンテンツが存続する」と伊波さんをはじめとしたキャストが繰り返すように、ファンとコンテンツは決して一方通行の関係ではありません。白い羽がセンターステージから客席へ飛び、客席からキャストへまた白い羽が返っていくのはそうした双方向な関係性を象徴的に示したものだろうと思われました。
Thank you!のような互いにありがとうを伝え合える曲はありませんが、演出によって双方向なメッセージを象徴的に表したこの演出にはアイマスとプロデューサー的な関係性をラブライブ的な表現に落とし込もうという試みのように思えます。そういう意味でこれもまた一つの越境的な要素だったと言えるでしょう。
3. さよならアンドロメダから私のSymphonyにかけての演出
最後にDay2よりさよならアンドロメダ、私のSymphonyの演出について話します。個人的にDay2の中で最も印象に残った2曲と言っても過言ではありません。
まずさよならアンドロメダの演出では天井部分にレーザーを用いて光の点を多く映し出し、さながらプラネタリウムのように星空を作り上げていたことは誰もが気がついたことでしょう。
さよならアンドロメダの照明演出はさほど主張は強くなく、むしろ曲をしっかり聴かせる演出計画になっていたと感じます。天井まで含めた会場全体を使った演出は観客を曲の世界観へと引き込み、多くの人がこれに聴き入ったことと思います。
そんな中、サビのパートでは天井の照明に少しだけ灯りが増え、レーザーに加えて細く絞ったスポットライトが星の海を彷徨うようにゆったりと動かされていました。その動きは何者かになろうと星々に手を伸ばす人や、自分だけの輝きを求めて彷徨い進む人の姿を連想させます。ライブの振り返りを一緒にしてくれたアイマスPの友人はこの曲が銀河鉄道に着想を得ていることに触れ、あの光は星々を渡る列車を想起させたとも言っていました。
サビの間のみ使われたスポットライトの光は少し暗めに抑えられており、色も複数使っていたのが印象的でした。これは歌詞の中の登場人物が複数いることに由来していると思われますが、全体的に光が弱く抑えられていることで歌詞の中に表れた寄り添うような優しさが綺麗に表現されているように感じました。
しかしこの曲の最後には、歌詞の中の主人公は再び一人に戻ります。照明演出でもこの点はしっかりと汲み取られ、最後のサビでのみスポットライトの光は1色に統一されます。複数色から1色へというシンプルな変化が、しっとりとした別れの印象を作り上げていたのは構成的にも美しい演出だったのではないでしょうか。またこのラスサビではスポットライトの光が少し明るくなっており、Pの友人はこれを最後の歌詞に表れた主人公の決意のようなものを表現しているように感じると言っています。そう思うと本当に曲に寄り添って作られた演出計画だと感じられます。
このさよならアンドロメダに続いたのが私のSymphonyでした。私のSymphonyはラブライブスーパースターのアニメ1期11話の挿入歌であり、このお話の中で主人公の澁谷かのんは「自身の過去」や「一人で人前で歌えない問題」と向き合います。過去に合唱祭で歌えなかった記憶、これはアニメ1話から言及され続けた根深い問題であり、これを克服するためにかのんは一人ステージの上で歌うことを余儀なくされます。
一人でステージに立つ不安を解消するシーンで、かのんは過去の自分もまたステージに立つことを恐怖していたことに気が付きます。そして幼い日の自分に寄り添い、語りかけ、そしてステージへと送り出します。さよならアンドロメダの歌詞に描かれた「寄り添い、送り出す人」のイメージがこの11話にも表れていたことが私のSymphonyを披露することで意識させられることがこのセトリの上手さだと感じました。
シンデレラガールズの面々とのコラボで歌われた私のSymphonyがキャストの越境のみに止まらず、物語や歌詞のイメージの越境も起こしていたのはセトリを含めた総合的な演出の手腕を感じます。
こうした物語の越境を踏まえて私のSymphonyの照明を振り返ると、その演出の中にも越境的な要素を見出すことができます。ステージ全体で見れば白色の照明が多く使われ明るい印象を作った構成でしたが、メインステージ上のスポットライト3本だけが青、ピンク、黄色の光を照らしていました。私にはこの3色がシンデレラガールズの渋谷凛、島村卯月、本田未央の3人を表しているように感じられました。嵐千砂都をはじめとしたLiellaの面々が澁谷かのんを支えたように、シンデレラガールズのアニメシリーズで中心的な人物として描かれたニュージェネレーションズの3人もまた互いに支え合い、時にはぶつかり、各々の問題を乗り越えていきました。
さよならアンドロメダの歌詞のイメージがラブライブスーパースター11話のイメージと共鳴したように、私のSymphonyの歌詞やLiellaの物語がアイマスのアイドルたちの物語と共鳴する。そうして今までとは異なる視点から曲を再解釈できるようにしたことにこの総合的な演出計画の妙が感じられました。
4. おわりに
以上、異次元フェスを終えて特に印象に残った越境的な演出を振り返ってみましたが、こうして文字に起こしてみると改めてその作り込みに感嘆を禁じ得ません。異次元フェスが終わった後もラブライブ、アイドルマスター双方のファンが互いのコンテンツに興味持って触れていることを見ても、このライブは大成功だったと感じます。
私個人としても今まであまり触れてこなかったアイドルマスターの楽曲に触れ、それをライブで楽しむ人に触れ、またラブライブとは異なった方向性での演出に触れることでサッと曲を聴くだけでは決して感じられない深みを垣間見ることができました。
正直最近のラブライブの展開はあまり追えておらず、ほとんど何もかもが初見の気持ちで臨んだライブでしたが、初めて聞いた曲も知っていた曲もしっかり楽しむことができました。ライブの振り返りに付き合ってくれた友人氏には改めてここでお礼を伝えます、本当にありがとう!Pならではの視点に加えて、作曲的な観点での話も聞けて非常に面白かったです!
最後に余談ですが、ラブライブサンシャインの1期サウンドトラックにも『今しかない瞬間を』というタイトルのサントラがあります。1期3話で使われた曲です。奇跡的な偶然ですね!
それでは今回の記事はこれにて終了。またライブの照明考察を書く時があったら、その時にお会いしましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました!
久しぶりの照明レポ 〜AqoursのValentine's Dayライブに行ってきました〜
この記事はラブライブ!サンシャイン‼️ Aqours EXTRA LoveLive 2023 〜It`s α 無限大☆WORLD〜 Valentine's Day Concertのネタバレを含みます。ネタバレを踏みたくない方はブラウザバックを推奨します。
さてみなさん、大変お久しぶりです。初めましての方は(いるのか?)初めまして。
まさけです。
最後に書いた記事が去年のバレンタインデー、Aqours 6thの記事でしたので実に約1年ぶりの更新でございます。体感はもっと長いことライブに行っていないと思っていたので、ちょっとびっくりしました。開演前エンカしたフォロワーさんに「下手したら2,3年くらいライブ行ってないかも」なんて言ってしまって、図らずも話を盛ってしまったなと少々反省したくらいです。
ここ1年は二次創作に加えて一次創作にも手を出しまして、その忙しさに追われてライブ会場に足を運ぶことができていませんでした。くわえてLiellaがとても精力的にライブを行なっているおかげでタイムラインで目にするライブの情報は以前に比べて確実に増えています。そうした状況重なってもう長いことライブに行っていないという錯覚を生んだのかもしれませんね。
前置きはさておき、1年ぶりのライブで新曲の情報もあまり追えていない中、飛び入りで参加してどれだけライブを楽しめるのか少し不安もありました。ですが、いざライブが始まってみればその懸念はどこへやら、久しぶりの声出し解禁ということもあって3時間のライブはあっという間に過ぎていきました。
飛ぶように過ぎていった中で印象に残った演出をセットリスト順に振り返りつつ、ライブ全体の印象にも触れていけたら良いなと思います。
それでは参りましょう。
1. 待ってて愛のうた
一曲目の『少女以上の恋がしたい』に続く2曲目にまさか『待ってて愛のうた』が来るとは驚きました。個人的にはライブの中盤、ちょっと落ち着いてきたくらいの頃に歌われる印象を持っていたので、こんな序盤にこの曲を聞くのは新鮮味がありました。
『待ってて愛のうた』の普段の照明といえばやはり会場全体の色調が水色からオレンジ色に変わるところが印象的です。一番を水色で通し、二番から(あるいはそのサビから)オレンジ色に切り替える演出がよく用いられていますね。
水色の光は昼間の海の印象を、オレンジ色は夕日の差した海岸の印象を与えて、一曲を通して時間の流れを感じられるような演出。曲中でも印象的な「待っててくれるかい」というフレーズとこの光の演出が合わさることで、実際に答えを出してくれる時まで待ったような感覚さえ覚える、物語的な印象の演出です。
しかし今回のライブでは1コーラスの中で水色からオレンジに変わるという演出に変わっていました。メロ部分では水色を、サビ部分ではオレンジ色を使うことで、これまで1曲の長さを使って表現してきた時間の経過を1コーラスという短さに圧縮する演出、皆さんはここからどんなものを感じ取るでしょうか。私はこれが「思い出」や「記憶」のように感じられました。過去にあった体験を思い出す行為、それがたとえ昨日のことだとしても10年前のことだとしても、私たちはものの数分で過去の追体験を終えます。こうした時間の圧縮が今のAqoursにはあるのだとこの演出は言っているのではないか。少女だった彼女たちはそれぞれの経験を経てひとまわり成長した姿で今このステージに立っているのだと訴えかける力を感じました。
ガイシホールの1stライブ、あのステージに立っていた頃とは違う景色が見えると伊波杏樹さんはMCで語っていました。また逢田梨香子さんも新しいことに挑戦したかったとMCで語っていました。ライブをするということ自体が新しかったデビューまもないAqoursの面々とは対照的に、数多のステージを経験してきた今のAqoursの面々にとってライブをすること自体は「新しい体験」にはなり得ないのでしょう。ライブをする、歌や踊りを披露するという変わらないことがある一方で、新しい曲や新しい振り付けなど変わっていくものがある。これはまさにAqoursの歴史であり成長です。今までライブの中盤に披露しがちだった『待ってて愛のうた』を序盤で披露することも、照明の演出に目新しい変化を加えることも、この新しい挑戦の一環だったのではないでしょうか。
全く新しい演出に変わっていたら、きっとこんな感想は抱かなかったでしょう。それだけに、水色の照明がオレンジに変わるという「変わらないもの」を演出の中に残しているのは非常に粋な計らいだと感じました。
2. New Winding Road ~ さかなかなんだか?
続きましてはソロ曲パートから3年生曲の部分を取り上げましょう。各曲の演出も良かったですが、曲と曲をよりスムーズに繋ぐ視覚的な配慮も光るパートでした。
まずはNew Winding Roadから。
一曲の中で照明の色調が白→水色→オレンジ色→白と変わっていったことにお気づきになったでしょうか。加えてこの白のライトの調整が絶妙でした。蛍光灯のような白ではなく、若干の黄色やオレンジが混ざった白。より自然光に近い温かみのある白色のライトは朝日が昇る頃の空を思わせる色でした。そこから水色を経てオレンジへと変わる光、推測はやがて確信へ変わります。この照明は空の色であり、ひいてはその色が連想させる時間帯の比喩なのだろうと。
朝起きた時、昼食を黙々と食べる時、職場や学校からの帰り道。人がぼうっと物思いに耽ったり、取り留めのない考え事をしたりする時間帯がこの色には表れているんじゃないかと感じました。きっと歌詞のせいもあるでしょう。「目を閉じたらふとよぎる歌」「遠く離れて気がついたこと」「みんな元気でまた会えるように」こうした言葉の数々、そしてそれをノスタルジックに歌い上げる鈴木愛奈さんの歌唱力によって、ライブ会場には高校卒業後、あるいはその遥か未来で自分の目標に邁進する小原鞠莉の姿が見えた気がしました。目標に向かって突き進むその合間の休憩時間に旧友を思い、「元気でやっているかしら」なんて呟く姿もありありと浮かんできます。きっとAqoursメンバーで集まって同窓会をしたりするのでしょう。みんなで集まれないにしても、ダイヤさんを食事に誘って、そこの会話でルビィちゃんの近況を聞いたりするのでしょう。
この曲から見える情景は、なかなかメンバー全員での時間が取れなくなってきても一緒に同じ目標を追いかけた思い出を糧に日々を強く生きたり、次会った時も胸を張れるようにと努力を重ねていくAqoursの面々の姿です。「成長したAqours」という印象が強く焼き付けられました。
続いてWHITE FIRST LOVEについて。
まず『New Winding Road』の照明を白で締め括ったことで、同じく白色の照明を使うWHITE FIRST LOVEの視覚的な導入がとても綺麗にできています。白という色が演出上別の意味合いを持つとしても、ソロ曲を繋げていく構成のなかでライブ全体での一体感が強く感じられるつなぎでした。
『New Winding Road』では朝日の空を連想させた白色の照明ですが、『WHITE FIRST LOVE』では一転、雪を思わせる模様を会場の壁に描きながら使われていました。ちょうどステージの向かいの壁を見ていると上から雪の粒が降ってくるような光景になる瞬間もありました。
こうした白色のライトを使った雪の表現は決して初めてではありません。Saint Snowが関わったライブでは大きなミラーボールを使って降りしきる雪が表現されたこともありました。そして雪の演出はいつも一方向に流れる雪、空から降ってくる雪を眺めるような演出でした。我々が普段雪という現象に触れる時は上から降ってくることがほとんどでしょうから、照明で雪を表現する際にも上から降ってくるように見せることは理にかなっているでしょう。
しかし今回の雪の演出は、曲の大部分で雪の模様が縦横無尽に動いていたという点で過去の演出と大きく異なったと言えるでしょう。縦横無尽に動く雪とは、言い換えれば宙を舞う雪です。重力に逆らってまでそんな挙動をするとすれば、そこには強い乱気流のようなものが発生しているからなのでしょう。『WHITE FIRST LOVE』の白色照明は地上に降り立つよりももっと上空の、雪に吹き付ける乱気流を表現してみせました。
誰かに恋をして、その人の言動に一喜一憂する感情の揺れや、あるいはやっとの事で告白まで漕ぎ着けて、その返答を待っている間の永遠にも思える気持ちの乱高下をこの雪に託した演出は秀逸です。WHITE FIRST LOVEはもとより恋をした人がその想いを伝えようと思い立つまでが描かれた歌ですが、Valentine's Dayライブで披露され、乱気流に揉まれる雪が添えられることで、歌に描かれた物語の一歩先を見られたような気がしました。果たしてこの恋が実ったのか、その答えを知る由はありませんが、自分の気持ちを込めたチョコレートを渡して、相手の反応を伺うダイヤさんの表情がライブを通して浮かび上がってくる、そんな体験があるパフォーマンスだったと感じました。
最後に『さかなかなんだか?』について。
『WHITE FIRST LOVE』の時と同様、直前の曲の演出の要素を引き継ぐことで曲への没入感を高める工夫がここでも見られました。注目したいのは照明機材の動き。あるいはそれによって壁に映った光の動き。『さかなかなんだか?』のスポットライトは終始上下左右に自由に動き回ります。しかし今度はゆったりとしたスピードで。縦横無尽に空間を駆け抜けた雪の動きのスピードを落とすと、そこには水中の浮力を感じさせる自由な光の動きが現れるのです。
色調を変え、光の模様を変え、照明機材から放たれる光線の印象はだいぶ変わりますが、その動きを見てみれば直前の曲からスピードが落ちただけ。ただそれだけのことで空中の雪の浮遊感をそのまま水中の浮遊感に置き換える演出は技ありな表現だと感じました。
この「浮遊感」は『さかなかなんだか?』という曲を表現する上でも重要な要素になっています。踊るようなワルツのメロディに心を浮かされてついつい海の中を泳ぐような心地よさばかりが印象に残りがちですが、『軽くなるきっと 心は憂いは』という歌詞にも現れているように、この曲の楽しげな雰囲気の後ろには悩みを抱えた果南が隠されています。重たい気分を紛らわすために水と戯れる果南、その瞬間に彼女が感じている水中の浮遊感が、ゆったりと自由に動くエメラルドグリーンの光によく現れています。身体感覚な部分にアプローチする演出は果南らしさが出ているような気がしていいですよね。
しかし曲の最後に着目すると、果南は岸に上がるときに「でも心は軽くなってた」といって曲を締め括ります。落ち込んだ気分が気晴らしをすることで晴れていく体験、こうした緊張からの解放という要素は、『WHITE FIRST LOVE』からの転換に見た乱気流の動きから水中の浮遊感という印象の相転移に綺麗に反映されています。
3. DREAMY COLOR
DREAMY COLORの照明が印象に残っている人はあまり多くないかもしれません。照明の色は水色一色に統一され、動きもない。舞台のセットや大道具のように、キャストのパフォーマンスを見せるキャンバスの一部としてこの曲の照明は機能しています。照明単体で見た時の主張の少なさ、これがDREAMY COLORの照明の特徴だと感じました。
DREAMY COLORはバラードのようなゆったりした曲ではありませんから、スポットライトのような大きな照明を動かさないということはそれだけ余計な視覚情報を入れたくないという意思の表れです。「キャストを見ろ」という強いメッセージが沈黙の中に感じられる演出でした。
このようにキャストのパフォーマンスを見せる照明のあり方は、テレビの歌番組や大きなライブフェスなど、キャストのパフォーマンスを見せることに重点を置いたライブを思わせます。ライブという機会を考えるとこれは当たり前のことのようにも思えますが、ラブライブ!というコンテンツを考えると、これは照明演出における大きな転換があるように感じます。
ラブライブ!は(少なくとも一側面では)声優コンテンツであり、ステージ上で踊っているのもまた声優。彼女たちは役者であり、ライブという一つの演劇を作り上げるピースなのです。ライブで披露される楽曲の多くにはアニメーションPVやテレビアニメなどのストーリー的な背景があり、だからこそ照明の演出の中にもアニメのストーリーやキャラクター同士の関係性を思わせる演出が多々見られました。曲のメロディー、歌詞、キャストの歌声、振り付け、照明等の効果にステージの造形、そうしたライブを構成する全ての要素が絡み合って、Aqoursという一つの世界を表現するのがラブライブ!のライブでした。
しかしこのDREAMY COLORはどうでしょう。今ステージに立つ彼女たちこそがAqoursだと、そう語りかけてくるようではありませんか。あの瞬間、ステージに立つ9人は役者ではなく歌手なんだと説得されたような気持ちでした。ラブライブ!サンシャイン!!の節目となった5thライブを経て、PVをキャストが務めたDREAMY COLORでこうした演出がなされたことに、ラブライブ!というコンテンツが新しい展開へと確かな一歩を踏み出したことを感じました。
そんな新たな予感を裏付けるように、ほとんど動きのないDREAMY COLORの照明で唯一スポットライトが動いたのが、サビの部分でした。列車が動き出す瞬間の車輪のような、ゆっくりとした回転で回る光。非常に小さな動きですが、ライトを大振りで動かすよりもはるかに強く「始まるんだ」という歌詞を印象付けてくれました。
幻日のヨハネのTVアニメ化も告知されて、またあたらしいAqoursの物語が紡がれていきます。MCの中であったまだまだAqoursは止まらないというのも、単なるリップサービスではないのだろうと思える予感。まだ告知はされていないが、水面下でAqoursの新たな展開が胎動するこの予感こそが今回のライブがくれた贈り物です。
DREAMY COLORを振り返ってみたら意外といろいろ書けてしまいました。振り返ってみるとまた考えがまとまって、自分自身非常に楽しめましてハッピーです。上に書いた以外にも今回のライブは新しい挑戦がありましたね。BANZAI! digital trippersでのダンスパフォーマンスも圧巻の出来でした。あのクオリティに至るまで途方も無い努力を要しただろうと思いますが、それを乗り越えた姿を見ると、これからのAqoursの活躍にも期待が高まりますね。
今回はこの辺りで締めとしましょう。また現地のライブに参加することがあれば照明レポート書こうと思います。
それではまた会う日までお元気で!
Aqours 6thライブの印象的な照明演出を振り返る
この記事はAqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~のネタバレを含みます。2日目のアーカイブ公開も先送りになってしまいましたので、ネタバレ回避したい方はブラウザバック推奨です。
皆様お久しぶり(?)です。まさけです。R3BIRTHファンミの記事以来ですので、約1ヶ月ぶりとかでしょうか?
ここ最近はもっぱら配信でライブを見ることが多かった私ですが、今回の6thライブはありがたいことに友人から連番のお誘いをいただきまして、久方ぶりの現地ライブと興じてまいりました。ライブが始まって真っ先に思ったのは「fps値が高い!!」だったので、自分がどれだけ配信という環境でライブを見てきたのかを少し思い知った気分です笑 1日目はアリーナ席でかなり前の方、2日目はステージに向かってほぼ正面の2階スタンド席、どちらも文句などつけようもない素晴らしい席でした。特にアリーナ席は私自身あまり経験がなかった上、初の最前ブロックでしたので「ついに私もキャストばかりを見る日が来たか?!」と思いました。もちろん実際には照明もがっちり見させてもらいましたが。
実際初日はメインステージより低くステージにも近い席から実際にどんな照明が見えるのか私も確信が持てず、レーザーは見えない場合もあるかもしれないと思って参加したんですが、実際はそんなこともなくしっかりどんなレーザーが飛んでいるのかも見ることができました。そのため初日はステージの近くから、2日目は会場全体を見渡す視点からライブを楽しむことができました。
さて、前置きはこのあたりにして本題の照明のお話に移りましょう。6thライブで嬉しかったことの一つとして、ライブ後の照明ツイートの多さが今までと段違いに多かったことが挙げられます。単純に私が見逃しているだけの可能性もありますが、私が照明について書き始めた頃からかなり増えたような気がしました。うれしいことだなぁと思いつつTLを眺めていますと、多くの人がMisty Frosty Loveの照明の話をしているようでした。読者の方もお気づきだったかもしれませんが、Misty Frosty Loveの照明は曲の一部を除いてずっと上手が桜色、下手が水色で二分されている構成になっていました。「誰かとあなたと私」という三角関係や斉藤朱夏さんと逢田梨香子さんがすれ違う印象的な振り付けもあって、この二分された照明演出が「誰か」と「私」の間にある心理的な隔たりを強く印象付けたのです。それゆえにこの照明演出に言及する方が多かったのでしょう。配信で見ていた方に(おそらく配信に乗らなかったであろう)現地の照明情報を追加しますと、この曲中で使われていたゴボ(光の模様)の中に5thのNext Sparkling!で使用されていたのと同じものがありました。サビのところでうっすら見える程度に使われていたのこの模様は、5thライブでは劇場版のテーマでもあった「卒業」を表現するために使われていたものでしたが、これを見て私はMisty Frosty Loveでも卒業がうっすらと影を落としているのかもしれないと考えたりしていました。つまり、この曲を単純にようちかとちかりこという二つのカップリングの狭間のような情景だと捉えると、卒業を機に曜ちゃんと梨子ちゃんがすれ違ったままになってしまう世界線があるのかもしれないと。そんな妄想が捗る演出でした。
このMisty Frosty Loveの照明が印象に残った方にはぜひ涙が雪になる前にの照明演出にも着目していただきたいです。歌詞の方向性はMisty Frosty Loveと異なりますが、この曲もまたすれ違いという「二人の間に隔たりがある状態」を一つのテーマとしています。Misty Frosty Loveの隔たりが左右で表現されたとすれば、涙が雪になる前にの隔たりは前後で表現されたと言えるかと思います。メインステージを中心に会場全体の色調はヴァイオレットに調整されていた一方、レーザーや一部のスポットライトなど、ステージから客席側へ照射されていた光はエメラルドグリーンに調光されていました。立体的に見れば光は交差しているものの光の向いている角度が違う、まさにすれ違っている様が演出されていました。ただ、Misty Frosty Loveと涙が雪になる前にの違いは、前者が曲のラストの振り付けですれ違ったままであるのに対し後者は果南が鞠莉を抱き止めて終わります。すれ違いが解消されるこのエンディングと平行を成すように、会場はヴァイオレット一色になり、客席側へ照射されていたエメラルドグリーンの色はオフになっていました。
2つだった色が1つになったというのはいくつか解釈の余地がありますが、振り付けへかなり寄せるのであれば「2つが1つになった」とシンプルに捉えることができるでしょう。鞠莉の色だけを残していったのは別の色を使うと浮いてしまうなどの理由が考えられます。そのほか、この歌はそもそも鞠莉の回想であると捉えることもできるでしょう。冬になって自室で過去を振り返っている鞠莉自身が1期9話未熟DREAMERで描かれた果南との仲直りのことを思い出している場面のように捉えることもできるでしょう。そのように考えれば、曲の最後でヴァイオレット一色に染まったのは回想が終わり再びシーンが自室の鞠莉に戻ったと考えることもできますね。歌詞自体のフォーカスは「白い雪が二人の方に降る」というところから冬も含んでいると考えれば、鞠莉は日中は果南とどこかへ出掛けていたのかもしれない、など多分に想像が広がりますね!
ライブ後のTLで照明関連のツイートを見ていてもうひとつ多かったのが、涙×のラストサビ前でステージの照明が一気に落ちて、ミラーボールに反射した光がドーム一面に広がり星空を見上げるような空間を作っていた点です。涙×は過去を振りかえって未来を思い描く歌ですが、さながら卒業ソングのような歌ですよね。Misty Frosty Loveの際に触れたゴボが使われていないこの曲ですが、きっと多くの人がこの曲に感傷を抱いたことだろうと思います。曲中に差し込まれた星空に、あるいは配信でそれが映らなくとも一気に暗くなった会場に、読者の皆様はどのような想像を働かせたでしょうか?私はテレビアニメ2期10話「シャイニーを探して」の中で、Aqoursの9人が見た景色はこんな風だったのかもしれないと思いました。母校の統廃合が決定され旅立ちを余儀なくされた彼女たちは、卒業とは別でありながらどこか共通するような感情持っていたのではないでしょうか。土肥駐車場から見上げた満天の星空のなかで彼女たちが考えていたもの、そしてAqoursのメンバーひとりひとりが自身の卒業を目前に考えていたもの、その二つにはきっと共通点があるのだろうと考えたりしていました。
星空の演出は涙×の演出の中でかなり印象的な位置を占めていますが、この曲は他の部分にもしっかりと見所がありました。短くまとめると、涙×は1番と2番以降でサビの照明演出が異なります。AメロBメロを白一色の照明で貫いて始まったこの曲は1番のサビに差し掛かってようやくメンバーカラー9色を用いた照明へと展開されます。この9色はスポットライトであったり、レーザーであったりさまざまなところに表れていましたが、白から9色へと移る進行は光の分離を思わせます。光というのは加法混色をしますので、混ぜれば混ぜるほどその色は白へと近づいていきます。なので白という色は9人全ての色を混ぜて一つにしたもの、グループとしてのメンバー9人を象徴する色の一つだと言えます。その白がメンバーカラー9色へと分化していく、その過程はまさにグループのメンバーひとりひとりが自分たちの道を歩んでいく「卒業」と重なります。過ぎた日々を抱きしめて今度は何がしたい?そう問いかける1番の歌詞は9色の光に彩られることで、卒業を目前に自分が歩んできた道、これから歩む道に思いを馳せる彼女たちの表現へと昇華されていきます。一方2番ではメロからサビを通して常に白一色で演出が進行します。9色へ分かれた1番を経てたどり着いた2番の歌詞の中でグループとしてのAqoursが占める位置、それは各々が大学、社会と時を進めてなお決して褪せることなく記憶の中で輝く「思い出」なのではないでしょうか。過ぎた日々は還らない、二度とはこないからこそ愛おしい。そしてこころがひとつになった時代を忘れないでとつぶやくのは、それが大切な思い出だからなのでしょう。2015年2月26日のプロジェクト開始からもうすぐ7周年を数えるAqoursだからこそ、この時間の重みが実感として感じられる演出だったのではないでしょうか。
最後にWATER BLUE NEW WORLDとMIRAI TICKETについて少しだけ。Aqours 6thライブはこの2曲が同日に披露された初めてのライブとなりました。WATER BLUE NEW WORLDは水色一色を貫いた照明演出に、MIRAI TICKETは時折白色の照明を交えつつもメンバーカラー9色を活かした構成で披露されていました。どちらもかなり久しぶりに見たので、私は当初WATER BLUE NEW WORLDの照明配色がMIRAI TICKETのものに、そしてMIRAI TICKETの配色はWATER BLUE NEW WORLDのものに変わっていると勘違いすらしてました。(勘違いではあったものの私個人はめちゃくちゃ盛り上がってましたけどね笑)ただ改めて過去の映像を確認してみるとそんなことは全然ありませんでした。その勘違いを正してなお、この二曲の関係には涙×に見られたような、グループのメンバーがそれぞれの道へ進んでいくモチーフは見て取れるように思います。
アニメの時系列で見ればMIRAI TICKETが先に来るべきところを、今回のライブではWATER BLUE NEW WORLDが先に披露されました。この曲で使われている水色は、白とは別のもう一つのAqoursのカラーです。OCEAN STAGEというサブタイトルに相応しい「恋になりたいAQUARIUM」からほぼ水色一色に染まった会場を引き継いだこの曲は水色一色の照明演出でAqoursがたどり着いた一つの終着点を想起させます。廃校が決まった浦の星の名をラブライブ優勝の歴史の碑に刻むこと、これがテレビアニメ2期の大きな目的の一つであり、Aqoursがたどり着いた一つの結末であると言えるでしょう。しかし、知っての通りAqoursの物語はこの後も劇場版へと続きます。3年生が卒業した後のAqoursはどうするのか?劇場版で扱われたこの問題はアニメ作品の枠にとどまりません。5thライブ以降、Aqoursは常にこの問いを投げかけられてきたように思います。先行するアニメ作品やストーリーとの同期をめざすパフォーマンスのあり方から、2次元のAqoursと3次元のAqoursが足並みを揃えて進むコンテンツへの転換。言い換えればアニメーションPV付きのシングル等で楽曲が発表され、書籍等で物語が提示されるスタイルへの転換。故にWATER BLUE NEW WORLDは過去のAqoursのあり方の象徴であり、先に演じられるべき思い出の曲なのでしょう。一方この転換は見方を変えれば過去への回帰でもあります。そもそもラブライブというプロジェクトが、μ'sというグループが電撃G'sマガジンで始まった時、企画はこのような形でした。そうして未来を切り拓いていく、Aqoursはまさに今次世代のμ'sへと変貌を遂げようとしているのかもしれません。故にMIRAI TICKETは後から披露されるべき曲なのでしょう。プロジェクトとしては過去への回帰でありながら、グループとしては未来へと続く確かな一歩である。グループとしての一体感よりキャラクター各々の個性が花開き輝くような未来を予感させる9色の光がMIRAI TICKETにはあったのかもしれません。
5thライブ以降繰り返される新たな輝きを求める姿、次のステージへと進もうとする姿。私は今までこれらを見て、Aqoursのメンバーもやがてμ'sのメンバーのように各々の道へと邁進していくことを暗示しているのだろうと思いました。それは喜ばしいことであり、私はファンとしてそれを笑顔で見送るべきなのだろうと。かつて矢澤にこが言ったように、アイドルとはメンバーが変わってもグループが残っていくもの。ラブライブという企画もまた、グループが入れ替わっても企画が残っていくのだと。ただ、今回のライブを見て、今照明考察を書いて、ラブライブはそうではない道を模索しているのかもしれないという発想を得ました。応援していたメンバーが企画を去っていくときに感じるであろう喪失感とどう向き合おうか考えあぐねていましたが、それは少し取り越し苦労に終わるかもと思うと、若干気が軽くなる思いもしますね。
最後は少ししんみりとしてしまいました。考察記事もまた生き物で、書きながら思索を巡らすうちに新たな気づきや発見があるものですね。照明に関するツイートが多く見られて嬉しかったのは紛れもない事実です。この記事が皆様の気づきや発見の一助となれば、私も嬉しい限りです。またライブに行ったら記事を書くかと思います。その時は是非、まだいらしていただけましたら嬉しいです。
それではまた次の記事でお会いしましょう。
配信で見てもすごかった -R3BIRTHファンミライブ照明を振り返る-
こちらの記事はR3BIRTHファンミDAY2のネタバレを含みますので、回避したい方はブラウザバックをお願いします。
みなさんあけましておめでとうございます。最近はライブを見ながら思ったことをTwitterに投げて終わりにしがちなまさけです。
本日1/23は中須かすみちゃんの誕生日であり、僕ラブ23の開催日であり、R3BIRTHファンミ2日目でもあるという特濃の1日でした。
私も僕ラブには参加していましたので、もし読者の方で私のスペースに来てくださっていた方がいたら、あらためてここでお礼を。ありがとうございます!
Aqoursの4th以来照明考察をちらほら書いて、照明考察本も3冊出して、段々と身の回りでライブ後に照明の話を耳にするようになって、嬉しい限りです。今回のR3BIRTHのファンミライブも当初見る予定は実はなかったんですが、僕ラブのスペースでファンミの照明がすごかったという話を聞いてしまって思わずアーカイブのチケットを買ってしまいました笑
そんなわけでR3BIRTHファンミのライブアーカイブを見たわけですが、「ああここのことを言っていたんだろうな」と、ばっちりわかるほどに特徴のある照明でした笑 ライブのハッシュタグと照明を合わせてTwitterで検索してもちらほらとツイートがあって、それくらい印象に残る照明演出だったんだなと感じました。
今回のブログではライブパートのソロ曲パート、決意の光から翠いカナリアまでの各曲の照明演出を一つずつ振り返ってみようと思います。それぞれの曲の照明演出で随所に異なるこだわりが散りばめられていたように感じます。それでは決意の光からいきましょう!
1. 決意の光
ソロ曲一曲目は決意の光。2ndライブでお披露目済みのこの曲はトークパートとライブパートとの橋渡しとしてまさに適任と言えました。そんな決意の光の照明演出は2ndライブの時との違いが印象に残りました。
2ndライブで披露された決意の光は静と動の対比を軸に曲の疾走感を押し出した演出でした。疾走感の部分とは、具体的に言えばAメロ前の前奏や間奏でレーザーがぶわっと扇を開くように展開したり、下手から上手へ向かってスポットライトの光が動いたりといった画面全体で動きを出す演出です。対照的に、曲がグッと静かになるAメロではライトをほとんど動かさないようにすることで静的な印象を作り出していました。この静と動の対比と疾走感が、栞子ちゃんの加入によって次の章へ物語が動き出すことを予感させ、また新しい一歩を踏み出す栞子ちゃんを印象付けていました。
ファンミライブにおいてもこの静と動の対比や疾走感という演出の軸は受け継がれていました。いわばこの曲の良さですから、当然と言えば当然ですね。一方、前奏や間奏でスポットライトが下から上へ動いたり、桜の花弁がひらひらと舞う映像が差しこまれたりと前回にはなかった演出が見られました。下から上へという動きはスポットライトだけでなくステージを縁取るLEDにも同様の演出が見られましたね。これは純粋に「上を目指す」というメッセージと捉えて良いのでしょう。初披露時のテーマが「はじめの一歩」だとするなら、今回のライブで「上達」をテーマにするのは自然な流れですね。舞い散る花弁についても、桜の蕾が春の知らせであるならば、舞い散る桜は初夏の足音を予感させます。栞子ちゃんがスクールアイドルを始め、その中で技術の未熟さを感じ、それゆえにもっと技術を磨きたいという気持ちになるのはストイックな栞子ちゃんにぴったりです。そんな一面が今回の照明からは感じられました。
2. I'm still...
疾走感から一転、暗めの青を基調に光量を落とした照明から始まったI'm still...は直前の曲との対比もあってかなり静かな印象でした。この曲を配信で見て真っ先に印象に残ったのは内田さんを正面からアオリのアングルで捉えた映像の画面です。これはきっと狙っていると思うんですが、この画面だと内田さんのちょうど頭上にスポットライトがきらりと輝くように映ります。まるでキャラクターの頭上に輝く一つの星といったように。頭上に輝く星で連想されるのは「憧れ」や「手の届かない存在」といったところでしょうか。決意の光で垣間見た「上達」のテーマがここに通じているのが絶妙なバランスですよね。
モノローグのように綴られる歌詞と暗めの照明は夜に自室にこもっているような状況を連想させます。「眠れない夜」という言葉があるように、こうした状況は不安やもどかしさといった感情と容易に結びつきますよね。だからこそこの画面から感じ取れるものは自分の気持ちを抑え込んでいるような、どこか塞ぎ込んだような印象です。こうして「空と地上」「夜」「塞ぎ込んだ気持ち」といった要素をAメロBメロでの静かな照明演出を通してセットアップしていきます。
そして積み上げた要素をサビで一気に転換する演出。感情が一気に込み上げる爆発力のある演出でした。光量は増して全体をより明るい画面へ、レーザーの色には青い光に緑を混ぜたより明るいシアンを使うことで、色の統一感を維持したまま一気に印象を明るくしました。この転換から「夜明け」や「気持ちが晴れる」といったことを連想した人も多いのではないでしょうか?塞ぎ込んでいた気持ちが晴れて事態が一気に好転したような印象を受けますよね。
そしてサビの照明演出ではもう一点、スモークとレーザーの組み合わせがよかったですね。帯状に展開したレーザーがスモークの中を通ることによって、レーザー面に雲のような模様が出現していました。これによってAメロBメロで形成された「頭上の星と地上の私」という対比構造が取り払われて、「私」もまた星たちと同じステージへ立ったという物語が作られていました。2番のサビでモニターに映されていた雲上の青空の映像もこれと並行をなすものでしょう。「雲を切り裂いて空高くへ」という歌詞とも重なってこの歌に描かれた物語を強烈に印象付ける演出になっていたと感じました。
3. Toy Doll
物語性に溢れたI'm still...とは対照的にこちらはスポットライトを動かし、ステージの色調を変え、ライトの点滅やハロゲンライトで観客を煽る非常に動きのある演出でした。
I'm still...が静のステージだとすればToy Dollは動のステージだったと言えるでしょう。決意の光が1曲の中で用いた対比を2曲間の関係に再構築することで、統一感と変化をいいバランスで調和させています。
そんなToy Dollは正統派ライブチューンといった照明演出で、ライトの動きで曲の疾走感を演出しつつライトの点滅を使ってビートを強調してメリハリをつけています。ここでの照明演出は曲への没入感や一体感を高めるのが目的ですので、物語性はあまり感じなくても問題ないですね。観客としてぶち上がれればそれが正解でしょう。
あえてこの曲に物語性を付与するとすれば、Toy DollはI'm still...の続編としてこのライブでは位置付けられているように感じました。I'm still...をステージに上がるまでの物語だとすればToy Dollはステージに上って「なりたい自分」を解放している姿なのだろうと思います。あの瞬間の会場にはきっとミアテイラーが顕現していたと思いますし、そのように感じた方も多かったのではないかと私自身は思っています。
4. QUEENDOM
ランジュちゃんの一曲目はQUEENDOM。曲が始まる直前、ステージの装飾だと思っていた宝石から放たれる煌めきに度肝を抜かれた方はいらっしゃいますか?私はぶち抜かれました。どうやったらあんな演出が可能なのかわからなさすぎて何度も一時停止をしました。
色々見てみて立った仮説ではあるんですが、おそらくあれは宝石の形の装飾に対して外から光を当てて作っているんだと思います。アーカイブで冒頭の映像を確認してもらえればよりはっきり分かりますが、装飾から伸びる光の筋のいくつかが他のに比べてかなり長いのが分かります。このことから、おそらく会場後方からステージの装飾めがけて強く細い光を当てているという予想ができます。
このように言葉で書いてしまえばなんてことないですが、これはかなりすごいことのように思います。装飾に差し込んだ光が中で反射して再びステージに姿を表すということは、実際の宝石と同じように光が装飾の中で屈折し、反射するように計算されて作られているということです。そう考えるとこのステージ照明は「宝石みたいな装飾」ではなく「宝石と同じ性質を持った装飾」であるということです。美術さんと照明さんの連携があってこそ可能になった演出と言えるでしょう。
冒頭の照明で度肝を抜いたQUEENDOMですが、曲中の照明は大きく2パターンに分かれていました。AメロBメロで用いられていたのは主に紫〜青の色調に統一された配色でした。比較的おそめのBPMに合わせた動きの少ない照明ですが、所々色を切り替えたり光を点滅させることでビートの強調をしていました。一方サビでは色調をオレンジへと寄せより活動的な印象を作りつつ、レーザーとミラーボールによるゆったりとした動きを演出していました。
この照明演出で強調されているQUEENDOMの特徴は「安定感」でしょう。一貫してゆったりとしたビートを刻むこの曲は自身を崩さず悠々と道を闊歩するような自信と余裕が感じられます。そんな「威風堂々」といった様がサビのミラーボールやレーザーの動きに現れているのではないでしょうか。特にミラーボールの動きはゆっくりですので、その余裕が感じ取れるかと思います。
また、少し細かいところではありますがステージの一階部のスポットライトがスモークに向かって光の模様を投影しています。この模様は通常ステージの床面・壁面に投影されるものなので、この使い方はランジュ特有の使い方だといってもいいかもしれません。
5. 夜明珠
こちらの照明もQUEENDOMと同様、安定感のあるビートに合わせてレーザーがゆったりと動いています。ゆったりと大きく動かして自信や余裕を演出するというのはランジュを演出する上での一つの軸になっていると言えるでしょう。
演出上の軸は似通っているかもしれませんが、配色は大きく変えていますね。マゼンタやシアンの色のレーザーは上海の夜景を思わせます。QUEENDOMがオレンジの照明とレーザーで絢爛な印象を形作っていたのに対し、こちらはネオン街をイメージさせるような演出になっていました。これは「夜明」という文字からも連想を広げた結果なのでしょう。
またQUEENDOMとの違いで言えばミラーボールの動く速さもこちらは速くなっています。こちらはもしかすると光の筋を動かすというよりもステージを見る観客に対してキラキラした印象をより強める働きを狙っているのかもしれません。「余裕」と「煌びやかさ」といった印象を強く押してくる演出には、皆の模範や憧れの対象でありたいという願望が隠れているのかもしれません。
6. 翠いカナリア
ソロ曲パートラストは再び栞子ちゃんが登場し翠いカナリアを披露しました。
この曲で印象的なのはサビで激しく動き回るレーザではないかと思います。この曲が持つ激しさや疾走感をよく表したような激しい演出ですね。みている側も自然とアドレナリンが出るというか、突き上げる衝動を感じます。
一方でこの曲には1stの栞子にはみられなかった要素も見て取れます。それは例えばBメロで照明のメインカラーがマゼンタピンクになる点であったり、ミラーボールを使用している点だったりですね。さらには先ほどランジュ特有とした光の模様をスモークに投影する方法です。
こうした他のキャラクターに見られる演出を取り入れている姿は、自身の殻を破ろうと努力する表現として捉えられるのではないかと思います。決意の光のなかで「上達」というモチーフを匂わせた栞子ですが、その努力が垣間見えるのがこの翠いカナリアの演出ではないでしょうか。これから栞子の曲の演出がどのように変化していくのか、それを見守ることで、栞子ちゃんの成長の一面を照明演出から感じ取れるように思います。
以上、ファンミライブのソロ曲パートを振り返ってみました。
実はこの記事を書いてる現時点で私はまだランジュちゃんやミアちゃんのストーリーをほとんど追えていないので、もしかしたらスクスタストーリーを踏まえると異なる解釈になるところもあるかもしれません。そんなところがあったら、ぜひ皆さんもご自身で考察してみてください。きっとライブの楽しみが1段階深くなることと思います!
それでは今日はこのあたりで。またどこかでお会いしましょう!
AZALEAちゃん2ndの照明演出 〜私まで元気もらいました〜
この記事はAZALEA 2nd LoveLive11 ~Amazing Travel DNA Reboot~ のセトリや演出の一部のネタバレが含まれますので、一切の先入観を排して曇りなき眼でライブを観たいという方はブラウザバックを推奨します。
ということで、AZALEA 2ndライブの1日目お疲れ様でした!
この記事を執筆しているまさけはと言いますと、最近はめっぽう配信でばかりライブを観ておりまして、「配信で照明見るのも慣れてきたな〜」なんて思ってたりしていたわけですが、久々に現地に足を踏み入れたらあまりの情報量に倒れてしまいそうでした。
やっぱり現地で見るライブはカメラの画角に左右されずに好きなところを見られるのがいいですね。音響も自宅のスピーカーからはおよそ流せない音量と音質で、久々に重低音で体が揺れるのを感じました。配信ライブも気軽でいいけど、現地参戦もやっぱりいいと再認識いたしました。
さて本題のライブですが、皆さんはどんな感想を持たれたでしょうか?Happy Party Trainで実家のような安心感を感じたでしょうか?はたまたLONELY TUNINGでぶち上がったでしょうか?あるいはFuture flightで心を撃ち抜かれたでしょうか?幕間アニメで笑い転げていたという方も多いでしょう。
私はDJ DIAのパートではちゃめちゃに盛り上がってました。もし今回のライブが声出しOKだったら、DJ DIAパートが始まった瞬間「電音部始まったな!!!白金さーん!!!」って叫んでいたこと間違いなし。あこがれランラランが流れた時も心の中でめいっぱい「あっぱれーー!!!!」って叫んでました。他にもPerfect SEKAIの照明が一瞬カラフルになって「蜷川実花じゃん……」ってなったりと、終始楽しく忙しいライブでした。
そんな中、個人的に特に印象深かったのはメタモルフィズム、HAPPY PARTY TRAIN、そして夢で夜空を照らしたいでした。ライブ前半(DJ DIAパート手前まで)は特に高槻かなこさんに向けたメッセージのようなものを感じましたが、それを特に強く感じたのがこの3曲でした。
まずメタモルフィズムでは下のような形の光を重ねてステージ床に投影していました。

これが重なることでまさに答案用紙なんかにつける花マルになったように見えました。ただこれは模様を作りながら自分で3つくらい重ねてみたんですが、その時は全然花マルに見えなかったので、もしかしたら別の模様だったかもしれません。ただライブで見ていた時は花マルに見えていましたので、ダイヤさんと果南さん2人のステージにゴボで花丸を足すなんておしゃれなことするなぁなんて思っていました。
その次のHAPPY PARTY TRAINではメインステージの二人がセンターステージへ移動するところで二人の後を追うようにこの花マル模様が後ろをついていったんですが、ここで「ちゃんと花マルに見えるように狙っているんだろう」と確証を得たような心地でした。この他にもHAPPY PARTY TRAINでは果南ちゃんの歌唱パートで使われている緑色の照明が、二人が歌っているセンターステージではエメラルドグリーンに、メインステージからの光は黄緑色にと2色使われていて、これもまた後ろから二人を見守る花丸ちゃんの存在が示唆されていました。ちなみにダイヤさんの赤で同じ演出がなされなかったのは、赤い光を黄色方向にシフトするとオレンジ色になってしまって、演出上別の意味を持ちかねないという判断からの配慮かなと勝手に思っています。
さてこの2曲で今回のステージには花丸ちゃんも一緒に立っているんだということがやんわりと示唆されてきたわけですが、この匂わせを回収したのが『夢で夜空を照らしたい』でした。
今回の夢夜空の照明ではいくつか光の模様が使われていたわけですが、そのうちの二つが下のものになります。


四角形を集めて丸く切り取ったような模様の方は、5thで披露されたNext Sparkling!の時に使われていたのと同じものです。花びらのような形の方はお馴染みのものですね。四角形を集めたものはネクスパ以外でもたくさん使われているんですが、今回別のゴボとセットで使われていることや、ステージに立っているのが3年生だけであること(ちょうど劇場版と逆の構図ですね)、また夢夜空は曲を歌うメンバー構成がちょうど1・2年生であるところも劇場版のネクスパと重なっています。その他高槻かなこさんが不在であるという状況もまた3年生不在のステージという劇場版の内容と重なり、5thの演出を強く意識させるものになっていたと感じます。
ここで5thでのネクスパの照明演出を簡単に振り返っておきますと、上の四角形を集めたような模様の光に加え、小さな丸をいくつか集めた(ちょうど望遠鏡で星空を眺めた時のような)模様のふたつが曲中で使われていたんですね。丸を集めた方は在校生が歌っているパートで、四角形を集めた方は3年生が歌っているパートで別々に使われていて、9人が揃う最後のところで二つの模様が両方使われるという演出だったんです。この演出を通して3人が卒業した後でも心は一つなんだということを表現していたわけですね。
夢夜空の照明ではこの別離と共存という二律背反のモチーフを再び持ってくることで、高槻かなこさん不在という状況にあってなおAZALEAは3人であるということを表現したかったんだろうと思います。この共存の要素は光の配色にも表れており、上の2つの模様は曲中の1番、2番、ラストの順でそれぞれ白&オレンジ→ピンク→黄色と色使いが変化していました。とりわけ一番で2色だったものが2番でピンク1色に統合されたところは3人で AZALEAなんだという意思を強く感じます。そういう意味でも、今回は花びらの形をした模様を採用したのでしょう。
このように考えると、高槻さんが抜けたフォーメーションでも照明演出が3人の時のままなのは、ただその演出で決まっているからというよりはそこに高槻さんが帰ってくる場所がちゃんとあるというメッセージのように思えます。こうしたメッセージはコロナ感染症での延期に続いて活動休止でのライブ不参加と悔やまれる結果を残してしまった高槻さんを強く元気づけたことだろうと思います。
さてDJ DIA以降の部分では2人でなおパワフルなパフォーマンスをするダイヤさんと果南さんが印象的でしたが、アンコールでは一転、『卒業ですね』を披露して前半で持ち上げた別れのテーマを再び起こしました。この展開は少し意外で驚きました。3年生だけで歌うこの曲は見送る側の花丸ちゃんがいないことでさらに別れの歌の印象が強くなった気がします。花丸ちゃん不在というのを誰しもが意識したでしょうし、キャストである高槻さん本人は尚更でしょう。この曲ではあくまでも別れに焦点が当たっていて、それが前半と食い違うようでちょっとした違和感があったのも事実です。
ただ、この違和感はアンコール2曲目に未熟ドリーマーが披露されたことで納得感へと昇華されていきます。曲の冒頭、「いつもそばにいても伝えられない想いで こころ迷子になる」や「言葉だけじゃ足りない そう言葉すら足りない ゆえにすれ違って」という歌詞は諏訪ななかさんと小宮有紗さんからの罪滅ぼし的な側面もあるのではないかと。罪滅ぼしというと少し言葉が強いですが、端的に言ってしまえばユニットメンバーとしてそれなりに距離も近く関わっていたにもかかわらず大変な状況に気づいてあげられなかったことや力になりきれなかったことへのちょっとした罪悪感のようなものがあるのではないかと思います。Aqoursも今年で6周年、苦楽を共にしてきたメンバーにはかなり深い絆があることでしょう。それだけに高槻さんの活動休止はAqoursのメンバーにとっても大きなショックだったのではないかと思います。
しかしこの歌は別れの歌ではありません。かつて散り散りになってしまったダイヤ、果南、鞠莉の3人が再びAqoursに合流する歌です。そういう意味でここは再会がモチーフになっていると言えるのではないでしょうか。仮に今は離れ離れだとしても、必ず同じステージに立つ日がくると、そう強く語りかける姿が私には見えました。
そしてアンコールの最後を飾ったAmazing Travel DNAは旅の歌。今ではないどこかへと移りゆく変化を歌った歌です。諸行無常とはよく言ったものですね。人生は旅であり、変わらないものなど存在しないのでしょう。疲れたら休憩することもありますが、疲れが取れれば旅人はまた次の目的地へと向かうのです。先日高槻かなこさんが活動再会を発表しました。私たちはまさにこの変化の瞬間を目撃しているのでしょう。
これから向かう未来がどんなものになるかはまだ誰も知りませんんが、それでも「楽しくなるはずだよ」と思ってしまうのはセトリの妙でしょうか。
そんなこんなで私はAZALEAの2ndライブ1日目を通して高槻かなこさんに寄り添う諏訪さんと小宮さんをみたような気がします。改めて皆さんは今回のライブにどのような感想をお持ちでしょうか?この記事がその感動を深めていれば嬉しいなと思います。
最後にいち花丸推しとして、高槻かなこさん活動再開おめでとうございます。活動再開の報せを聞いて胸を撫で下ろす一方で、無理をして再開をしていないか心配する自分もいます。いつか高槻さんがステージの上で思いっきり歌う姿を見るのを楽しみにしていますね。
それでは長々とお付き合いありがとうございました。今回はこの辺りで幕引きといたします。
それではまたどこかで!